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言葉の解釈②
私が勤務していた小学校の特別支援教室では、毎年、野菜を育てていました。

先生、生徒全員でホームセンターに出掛け、
育てたい野菜の苗を選び、教室横の畑に植えました。
キュウリ、ナス、トマトにピーマン。
それに、子どもたちのたっての希望で、スイカも育てることになりました。

毎日、せっせと水遣りをし、雑草を抜いて、おいしくなるようにと肥料もまきました。
苗は成長し、可愛い花が咲き、小さな実がなりました。
実は少しずつ大きくなり、子どもたちは大喜びです。


子どもたちは畑に出て、毎週、野菜の観察日記をつけていました。

その中で、3年生のC君は、野菜に興味を示さず絵を描こうともしません。
畑の周りを一人でウロウロと歩き回っていました。


「ほら、スイカが大きくなってきたよ」
「C君、スイカ、描こうよ」
私が何度も声を掛けると、ようやくクレヨンと画用紙を手にとってくれました。
そして、一番大きなスイカの正面に座り、画用紙に何やら描き始めました。


「C君、これ、何?」
「スイカ」
「???」
画用紙にはスイカの絵ではなく、「スイカ」という文字が・・・

C君は「スイカの実」ではなく、土にさした「スイカのタグ」を丁寧に描いていたのでした。


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自閉症の世界 | 09:00:00 | トラックバック(0)
言葉の解釈①
B君は、当時小学5年生。高機能自閉症との診断を受けていました。
B君は、人が多い場所が苦手であり、
学校では多くの時間を図書館や空いている教室で過ごしていました。
 
先生方は、なるべくクラスの友達と馴染んで欲しいと考えていました。
しかし、B君が自分のクラスで過ごすのは、
一日のうちで給食の時間や体育の時間くらいでした。
それも、時間いっぱい過ごすことは稀であり、
殆どの場合は、ちょっと目を離したすきにどこかへ走り出してしまうのが常でした。

ある日の給食の時間のこと。

担任の先生が横に座り、班の友達と一緒に給食を食べていました。
その日も、B君は好きなメニューだけを先に食べ、
お皿に半分ほど残ったままで立ち上がり、教室を出て行こうとしました。

担任の先生はB君に言いました。
 「B君、まだ食べ終わってないよ」
 「もう食べた」
 「まだお皿に残っているでしょう」
 「もういらない」
 「お皿が空っぽになってから行きなさい!!」

それを聞いたB君は、お皿をつかむと残った給食を全部、床にぶちまけました!!
そして、ダッシュで教室から駆け出していったのでした。


後日、その話を聞いた私は、思わず笑ってしまいました。

自閉症者は、言葉をその通りに受け取ることが多いといわれています。
「まっすぐ家に帰りなさい」と言われ、
「曲がり角があるのに、どうやってまっすぐ帰ればいいの」と尋ねた子がいました。

また、「明日は首に縄をつけてでも連れて来るよ」と言われ、
本当に首に縄をつけられるのではないかと悩んだ子もいました。

この場合も、先生は、「全部食べなさい」というつもりだったのでしょう。
しかし、B君は先生の言葉通りに「お皿を空っぽ」にしたのでした。


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描画から見えてくるもの②
前回は、人の顔の絵を描いたA君のお話をご紹介しました。
 
その後のA君は、トラックや信販会社のカード、時には人の全身像など、
さまざまな絵を丁寧に描くようになりました。
また、看板などの文字を書くこともありましたが、その際、書き順だけではなく、
文字の配列を無視した書き方(右から左へ書く・下から上に書く)をしていました。
 
ある時、A君はクレヨンを使って、人の全身像を小さく描いていました。

興味深く感じたのは、その人物像のまわりに、たくさんの水玉模様があったことです。
水玉模様は、最初に黄色で塗りつぶし、その上に白色を丹念に塗り重ね、
薄いレモン色に仕上げていました。

「A君、この丸いのは、なぁに?」
「レモン色!」
「レモン色の何かな?」
「まるまる~!」 

この時、頭に浮かんだのが、自閉症者であるドナ・ウィリアムス氏の自伝
『自閉症だったわたしへ』の中の「空気中の細かい粒子が見える」との記述でした。
ドナ・ウィリアムス氏は、「わたしの視力があまりに良かったために見えてしまい、
催眠術にかかったかのようにその粒子ばかりがせり出してきて、
他の本物の「世界」の方が後退してしまっていた」と記述しています。
 
自閉症者の中には、自然光は気にしないのに、
蛍光灯の光には不快感を示すなどの行為を示す者も見られます。
また、初めて着る洋服の肌触りを痛いと感じたり、
特定の音に敏感に反応する場合もあります。
これは、感覚過敏(感覚異常)によるものではないかと推察されます。


A君が描くこれ以外の何枚かの人物画にも、レモン色の水玉模様は登場しました。
A君にも、ドナ・ウィリアムス氏と同様の「空気の粒子」が見えていたのかは分かりません。
しかし、A君にもさまざまな感覚過敏を示す行動が見られることから、
その可能性も考えられるのではないかと思います。
 

<参考文献>
ドナ・ウィリアムス著『自閉症だったわたしへ』


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描画から見えてくるもの①
A君は、筆者が小学校で個別に関わらせていただいた、当時1年生の男の子でした。
色白で愛らしい顔立ちのA君は、マイペースで他者への関心が薄いように見えました。
当時、発語は二語文程度で、ビデオやテレビのフレーズを繰り返したり、
オウム返し(こちらの問いかける言葉をそのまま繰り返す)が多かったように思います。
また、A君は特定の物事へのこだわりが強く、
行動を制止されるとパニックを起こすこともありました。


そんなA君を、担任の先生はじめクラス全体が、
温かくごく自然に受け入れていたのが印象的でした。

ある日の給食の時間、A君が急にパニックを起こした時のことでした。
同じ班の子どもの1人は、筆者にこう言いました。
「ここは片付けておくから、先生(筆者)は、A君を静かなところに連れて行ってあげて」
そして、近くにいた何人かの子どもたちが自発的に立ち上がり、
A君が興奮して床に投げた給食を黙って掃除し始めました。

何て、デキタ子どもたち!!

他者への関心が薄いように見えていたA君は、
そんな優しいお友達との関わりの中で、少しずつ成長していきました。
目が合う回数が増え、嬉しそうに自分からお友達に寄って行くこともありました。
A君が、他者に関心を示し始めていたように思います。

ある日のこと、A君は画用紙にクレヨンで絵を描き始めました。
中央に2人の顔。やや大きな顔に小さな顔が寄り添っています。
そして、周りにたくさんの小さな顔。どの顔も笑っています。
A君が小学校で初めて描いた、人の顔の絵でした。

クラスの子どもたちが驚いて寄って来ました。
中央の小さい顔を指差して、
「A君、これ、誰?」
「A君!」
「じゃ、これは?」
「○○先生(筆者)!」
最初は、筆者の存在自体を無視しているように見えたのに、
少しは受け入れてくれるようになっていたのでしょうか。

次に、子どもたちは周りの顔を指差して、
「これは誰?」
「○○君!」
「じゃ、これは?」
「○○ちゃん!」
皆、大喜びです。
他の子ども達も、自分はどの顔だろうと、口々に言い合います。

この頃、A君の世界の中には、
クラスのお友達が存在するようになっていたのではないかと考えます。

どの顔も可愛らしく笑っていたA君の絵はカラーコピーされ、
学年の終わりまで教室に飾られていたのでした。


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